今日は一昨日先輩から話のあったボランティアをやりました。
デイサービスの職員さんのサポート。
何でも高齢者の下のお世話をするときに新聞紙を使って処理をするそうで、
時間で動いているからばらしてあると助かるんだそうです。
午前中は説明のみで終わり、午後から作業を黙々とやること1時間、先輩が止めました。
どういう事かは私にはわかりません。スピードがありすぎるとは言ってましたが。
それからマッキーさんとおしゃべり。
何をしゃべったかまではあまり覚えていません。与太話だった気がします。そこで産婦人科の話になったんです。
私は昭和44年、とある病院で生まれました。
と言うより「出され」ました。生まれるときに「危ない」と判断されたんですね。
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ところが表面上何もないのに黄だんが消えない。しかも元気におっぱいを飲んでいる。
親が「おかしい」と感じて転院したときはすでに手遅れ、内出血で出来た血のかたまりが脳を冒していました。
ここからはマッキーさんに話していませんが、親はすぐに訴えようとしました。
それを祖父がなだめたんだそうです。
小児科と産婦人科は選びないよ、という話で終わったと思います。
弟はそこで生まれたのか?とマッキーさんに聞かれたので「わからない、ただそこで続けて産むとは思えない」と答えました。
今「東京ナイトメア」と「霧の訪問者」、2冊とも家にあります。
活字嫌いなので読めるかどうかわからないのですが、とりあえず目指せ読破、ってことで。
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