古田光(あきら)君。私より重度でありながら車を運転し、
結婚をして独立した生活をしている、私の中では永遠に越せないライバルです。
彼の偉業を残そうというプロジェクトが立ち上がったのが今から7年前。
仲間の似顔絵を挿絵にしようと募集が来ましたが自分では書けず、仲間に書いてもらいました。
そんなこんなで冊子発売にこぎ着けたのが、1年前の7月でした。
さすがにこれ以上は空けられないと一念発起、今日の日を迎えました。
という話をパーティのスタッフさんに伺いながら、車を走らせること30分。
松川町社協へ着いた頃には、まばらながらせわしなく動くスタッフの姿が。
今日は朝から雨がぱらつくあいにくの天候。送りをお願いして良かったです。
やがて開場の時刻になり、懐かしい顔が入ってきます。
私も通所しており、古田君が現在もお世話になっている授産施設からは職員が2名。
1名は寸志を置いていってくれました。
相も変わらぬ賄い長の長い開会宣言の後、来賓の挨拶となり、
「続きまして、授産施設園長・・・」驚きましたよ、15年前名字呼び捨てで呼んでいた職員が園長様ですもん。
時の流れは残酷です。
乾杯の後は仲間達の演奏披露、古田君の詩の朗読と続きます。
先輩とBさん(仮)、スタッフ1名で構成された無理矢理バンドはごたごた感が懐かしいです。先輩のベースが時々はずれていましたがそれもご愛嬌。
賄い長は笙を初披露。音出すの難しいんですよ、あれ。
参加者一人一人が挨拶をすることになりました。この辺のアドリブと臨機応変も当時のまま。
私は率直に、今感じたことと、これからも書いてくださいね。ということを述べました。
笑いが起こっていたのは、私が作曲をお願いしていた事実が、取り上げてもらえなかった愚痴と共に発覚したからでしょう。
万歳三唱をして、後は帰るだけだったのですが、
賄い長の急な提案で、本日2回目となる記念撮影会となりました。
懐かしい人々が来てうれしいのはわかりますが「2度と撮れないから!」はちょっと悲しいです。
こういう集まりが出来るように、書ける人が書いて形を残し、きっかけ作りをすることが重要なんでしょうね。
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